行雲流水 -Wander as a cloud-

長春-上海 中国自転車の旅

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唐山の董さん

彼女は白いスポーツウエアに身を包み、満面の笑顔で出迎えてくれた。
「唐山へようこそ!長い距離を走って疲れたでしょ?」
日に焼けた肌と優しい目が印象的だ。
彼女の名は董福利さん。女子車いすテニスプレーヤーでは中国No.1。アジアランキングでもNo.1の選手だ。
なぜそんな著名選手と会うことになったかと言うと、長年の友達である北京のツバメさんが紹介してくれたのだ。「素敵な女性だし、旦那さんもとてもいい人だから北京に来る途中で唐山を通るならぜひ会ってみて!」との事だったので、アジアを代表するテニスプレーヤーに会う機会なんて滅多にないと思ってとても楽しみにしていたのだ。
P1010635_R.jpg
1976年7月28日。董さんが7歳の時に唐山大地震が起こった。この未曾有の大災害で、彼女は右足を失い、そして同時にお父さんを失った。彼女が24歳の時に始めて車いすテニスの存在を知った。見学していた彼女に選手の一人が「ちょっとやってみないか?」と誘ってくれた。最初は興味半分で始めてみたのだが、彼女には抜群の運動神経と天賦の才があり、始めてからたった1年で中国No.1の座を射止めた。「この車いすテニスが私に生きる喜びをくれたんです。」

現在彼女は39歳。現役選手としてはかなりの高年齢だが、日々のたゆまぬ練習の甲斐あって現在でも世界ランキングで17位。アジアNo.1の座を維持しているのだ。37歳で現役復帰した伊達君子もすごいと思うけど、董さんも世界の檜舞台で活躍する現役プレーヤーとして、そして高校生になる二人の娘さんの母親として、立派に活躍している姿は多くの中国の人々に夢を与えている存在だと思う。
その彼女を側でずっと支えているのがご主人の陳勇さん。彼は元々全くテニスには縁がなかったのだが、テニスプレーヤーである奥さんを支えるために、ゼロからテニスや健康管理などを学び、今は彼女の専属コーチをしている。これも内助の功と言うのだろうか。どこに行くにも彼女の手をしっかりと握ってエスコートしていて、ラブラブな二人の姿はとても微笑ましかった。
董さんは世界20カ国以上でプレーをしているが、その中で最も数多く行っているのが日本なのだそうだ。NECのサポートで過去5回ほど来日したとの事。「東京には縁がなくて、まだ行ったことがないのよ。」と言っていたが、ぜひ東京にも来てほしいものだ。

「実を言うと日本に行く前は、日本に対してそんなにいいイメージは持っていなかったの。でも日本に行って、友達が出来て、自分の目で見て体験することによってそれまでのネガティブなイメージは吹き飛んでしまったわ。今は日本が好きだし、中国を一人で自転車で旅している日本人がいるって聞いてぜひ会ってみたいと思ったの。今日本の中国に対するイメージもあまり良くないみたいだけど、やはり実際に行って、そこで友達を作れば変わるんじゃないかしら。」日本に行った感想を尋ねた時、彼女はそう答えてくれた。

唐山に着いたのがちょっと遅い時間になってしまったので、ご夫妻と話が出来たのは食事をしながらの短い時間ではあったが、ご夫婦そろってとても魅力的な人たちだった。またぜひ二人に会いたいと思ったし、董さんの今後の活躍を心から応援したいと思った。





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Dusty Road to 唐山

朝食を石門で一番大きなレストラン、「金満飯店」で食べる。
肉入りそば3元(48円)也。
僕が行った時は従業員たちの食事時間と重なっていて、20名ほどの
従業員たちと一緒に食べることになった。
P1010599_R.jpg
朝食後、すぐに出発する予定だったが、金満飯店の従業員たちが
自転車と僕を囲んで、どこから来た、自転車はいくらだ、日本語しゃべってみろと
いろいろ話しかけてきて、しばらくおしゃべり。
彼女たちはほとんどが20歳前後。こっそり月収を聞いてみたら900元(約14400円)だそうだ。
みんなカメラ付携帯を持っていて、次から次へと記念写真大会になった。
(写真にはもう少し年上の人も写ってますね。)
P1010604_R.jpg
自転車で出発する時、彼女たちがずっと手を振って見送ってくれた。
元々全く寄る予定のなかった石門。
ちょっとだけいい思い出ができた。
P1010607_R.jpg
明るいところで見てみると、やはり路面が相当ひび割れ、あちこち陥没したりしている。
この昌黎を過ぎてからの道は、3m×2mくらいの巨大なコンクリートの塊を継ぎ合わせて
作っているようで、その継ぎ目の辺りから亀裂や陥没が生じている。
吉林省、遼寧省の国道は日本以上に立派な国道だっただけに
省によって(道によって)ずいぶん大きな差があるようだ。
これからもっとヒドイ道が続々登場するのかもしれない。
P1010608_R.jpg
更にヒドイのは近隣にコンクリート工場や採石場などが多いため、土石を山のように荷台からはみ出させた
大型トラックが土埃を巻き上げながら絶える事無く行き交っていることである。
トラックが側を通る度に埃で前が見えなくなる。
あっという間に全身真っ茶色。埃だらけだ。
これだけ埃が舞い上がる道を走るのはボリビアのラパスからユンガスに向かう道を自転車で
走った時以来かもしれない。
P1010622_R.jpg
このひび割れ、土埃道はその後も40km以上続いた。
これだけどこもかしこも土埃色の風景が続くと、体力的にも精神的にも疲れる…。

18時、唐山市着。
中国のことをちょっとは知ってる人に、唐山と言えば
1976年の唐山大地震のことを思い起こすだろう。
この地震での死者は公式記録では24万人以上、非公式には60万とも80万とも言われている。
地震被害では20世紀最悪の大災害である。

実際に唐山に来てみるとかなり大きな都市で、中心街のビルからはレーザー光線が四方に照射され
昨日までいた街とは天地の差の華やかな街だった。
P1010634_R.jpg
埃だらけでようやくたどり着いた唐山だが、ここではとても楽しみにしていた事があったのだ。
(続く)









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